先人巡礼
年度が明けて暇が出来たので、さて、これから何をしようかと考えた。もうそんなに先はないので、若者に残しておくべき本だろうなと考えた。専門に入って最初に手にする基本的な本である。又、迷った時に立ち返れる本である。出身の土木にはそんな本はなかったが、お隣の建築には太田博太郎の「日本建築史序説」があった。歴史は学問の基本である。
建築史の本はあり、都市計画史の本もあるが、都市設計の歴史の本はない。都市計画、土木、建築、造園、意匠、それぞれの立場からいかに都市に貢献するデザインがなされてきたのか。手始めに前川國男の作品を巡り始めた。やっぱり本物はいい。
まだ本は出来ていないけれど、そういう眼で先輩達の作品を訪ねることを勧める。君が前川の、又、樺島の後継者たらんことを願って。
篠原 修
――飢えた子供の前で、文学は何ができるか?
サルトルが40年前に発したこの問いに、人類は応えてきただろうか。
今、全国の町が喘いでいる。
国道沿いに立ち並ぶ飲食チェーン店や大型ショッピングセンター、田畑跡に侵食していく建売住宅は町の景観を均質化し、モータリゼーションは人々を町から引き剥がして中心市街地を空洞化させている。人々と土地、地域、慣習との関係性の希薄化はコミュニティを弱体化させ、農業就労者の減少や宅地化の進行は郊外二次自然を荒廃、消滅させてきた。
これらの問題は互いに連関し合い負のスパイラルに陥っており、画期的な突破口も見つからぬまま、それぞれの町が未来を模索している。
我々は様々な角度、分野から、この現代の町が患う病に立ち向かわねばならないが、その特効薬として採用される方法には、偏りや優先順位が存在するのが現実である。
つまり、瀕死に喘ぐ町の前で、経済効率性や短期的収益性を差し置いてまでも、デザインに何ができるか?ということだ。
牛久も、喘ぐ町のひとつである。
元来牛久は、豊かな森や水系に囲まれ、また人々の営みが谷津などの二次自然を育んでいた。高台の森の中には中世城址が時を積もらせ、町の緑の中には日本初のワイナリーである牛久シャトーが今でも残る。しかし、高度成長期以降の宅地開発や生活の変化によって、市民が共有できる牛久の価値が見えにくくなってしまった。町の中には空地が目立ち、都市型アメニティを求める現代人は町を省みなくなってきた。人々は、牛久の潜在的価値がすぐ傍に在るにも関わらず、その目前を素通りしているのだ。
本ワークショップでは、これらの自然や文化的遺産との関係性を意識しながら、市民の日常を豊かにするきっかけとなるようなパブリックスペースを考えたい。牛久固有の潜在的な資産に息を吹き込み、市民の記憶には薄くなっている価値を甦生し、更に市民が牛久を生きる時を共有できる新たな拠り所を創りたい。
そしてこれが、今後実際に取り組んでいかなければならないであろう全国の町が抱える問題について、更には、地域の本質的問題の打開や新たな価値の創造としてのパブリックスペースの可能性について、考える第一歩となることを期待したい。
――飢えた子供の前で、デザインに何ができるか?
この問いを我々の胸に共通にして。
準備中です。
随時追加予定です。